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東京地方裁判所 昭和29年(モ)10160号 判決 1954年11月12日

債権者 安田火災海上保険株式会社

右代表者 檜垣文市

右代理人 成富信夫

<外二名>

債務者 韮沢秀雄

右代理人 大高三千助

<外一名>

主文

債権者債務者間の当庁昭和二十九年(ヨ)第四六五〇号債権仮処分申請事件につき、当裁判所が昭和二十九年六月二日なした仮処分決定(同月七日附更正決定を含む)は、これを認可する。

訴訟費用は、債務者の負担とする。

理由

証人今江信義の証言により真正な成立の認められる甲第一号証の一乃至三、第二、三号証成立につき争のない同第四号証及び証人今江信義、同金子梅吉の各証言並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、債権者の申請理由(一)乃至(四)の(イ)記載の事実並びに、訴外伊勢石蔵は債権者より本件保険金支払のため額面三千二百七十五万円の小切手を受領するや、昭和二十八年四月十八日、自ら、同小切手に株式会社箱根高原ホテル代表取締役土屋五十五名義の裏書をなした上、これを株式会社三井銀行(当時帝国銀行と呼称)目黒支店に振り込み、同時に全額自己名義の当座預金口座に預け入れたことが一応認められる。

成立に争のない乙第一、二号証及び証人今江信義、同伊勢じゆんの各証言によれば、訴外伊勢石蔵は、同年四月二十七日、自ら同銀行に赴き、右預金の一部を引き出し、そのうち五百万円を、娘伊勢和子のため同銀行に、同女名義の普通預金とし、更に、同年十一月十六日あらためて、これを引き出し、同和子のため、別紙目録記載の特別定期預金、無特B一号五百万円、すなわち本件預金に振り替えるにいたつたこと(この振り替えの点については当事者間に争がない。)が疏明せられる。債権者は、本件預金債権についての伊勢和子名義は、訴外伊勢石蔵が債権者の追求を免れんとして、自己のため、仮に用いた名称に過ぎないと主張するけれども、少くとも、本件においては、しかく断定しきるに足るほど明かな疏明がないばかりでなく、訴外石蔵の当時有したであろう真意につき右預金を受けた訴外銀行においてこれを知り、または知りうべかりし事実は、少しもうかがわれず、従つて、前示普通預金契約は、訴外伊勢和子を預金者として、訴外銀行との間に有効に締結せられたものというべく、更に、その後これが引き出され、銀行より預金者和子に支払われたことは前示認定事実により明かであり、即日これがそのまま、本件特別定期預金、無特B一号五百万円に振り替えられるにいたつたことは当時者間に争なく、しかも、この預金に当つては右和子の印鑑が用いられていること(もつとも、この点はいわゆる無記名定期預金の性質上、預金者を一概に決定するに足るものではないこというまでもないが)弁論の全趣旨に徴し明かであるから当時本件預金債権は訴外伊勢和子に属していたものと一応いうほかはない。

しかして、成立につき争のない乙第三号証によれば、訴外伊勢和子は、昭和二十九年五月二十一日債務者韮沢秀雄から百万円を弁済期同年六月十九日の約で借り受け、その履行を担保するため本件預金債権五百万円を債務者に譲渡する約定をなすにいたつたことが疏明せられる。しかして、本件預金債権については、預金者と契約銀行との間に、銀行の承諾がなければ、預金債権を他に譲渡すことを得ないとの特約がなされていることは、当事者間に争がない。ところで、債権者は、債務者においてこの特約の存することを知りながら、本件預金債権を前示の如く譲り受ける旨の合意をなすにいたつたものであるから、その譲渡は、効力を生じ得ないと主張するに対し、債務者はこれを争つているのでこの点につき考える。成立につき争のない乙第一、六号証及び証人大高三千助の証言、債務者本人訊問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、債務者は、伊勢石蔵及びその一家が石蔵に対する前示放火被告事件に関し困窮しており、これが救済のため金員の貸与方を、大高三千助弁護士等を介し、ひたすら頼まれ、その結果、本件預金債権を担保に譲り受けて、金百万円を伊勢和子に貸与するにいたつたこと、大高三千助弁護士は、この債権譲渡に先き立ち昭和二十九年五月十七日、前示特約にもとずく承諾を訴外銀行から得るため、交渉し、同弁護士としては少くとも、訴外銀行よりその旨の承諾を得たものと確信するにいたつていたこと、(この点後に判断する如く承諾がなされたものとは認め難い)従つて、法律専門家として、右特約の存在、特約に基づく承諾のない場合における債権譲渡の効果を知悉し、自らこの承諾を得べく交渉し、その承諾を得たと信じている同弁護士が本件預金債権の譲受人で二十数年来の知合である債務者に対し、この間の経緯を明かにしないとは、先づ考えられないこと、しかも、債務者は訴外伊勢石蔵等とは、この貸借に際し、大高弁護士の紹介により始めて知り合うにいたつていること、債務者は、本件預金債権譲受けに際し、前示特約の明記されている定期預金証書(乙第一号証)を現実に見ていること、百万円の貸金債権担保のために、債務者が譲り受けた本件定期預金債権五百万円は、その譲受けに先立つ昭和二十九年五月十六日、すでに、満期となつていることが疏明せられる以上認定の事実と弁論の全趣旨とを綜合して考えるときは、債務者は本件預金債権譲受けに先立ち、同債権につき、債権者主張の如き譲渡禁止の特約の存したことを知りながら、これを譲り受けたものと一応認めるに妨げないものというべきである。仮に、この点につき善意であつたとしても、以上認定の事実を併せ考えるときは、少くとも、その特約の存在を知らざるにつき、過失があつたものと認めるに十分である。(民法第四百六十六条が譲渡禁止の特約ある債権を譲り受けた善意の第三者を保護しているのは、主として、その表見的事実に対する信頼を基礎とするものというべきであるところ、かかる表見的事実に対する信頼が保護される場合、その反面において、この信頼が過失に基づかないことを要求するのは民法の建前(例えば同法第百十条、第百十二条、第百九十二条、第四百八十条等。法文上必ずしも無過失を要件としていないにも拘らず積極に解されている例も少くない。)ともいいうるから、本件の場合も善意の外に、無過失なることを要すると解すべきである。)しかして、成立につき争のない甲第十三号証によれば、訴外株式会社三井銀行において、本件預金債権につき前示特約に基づく譲渡の承諾を与えた事実のないことが認められる。乙第六号証及び証人大高三千助の証言によるも、にわかに、この認定を左右するに足りない。しからば、訴外伊勢和子は債務者に対し本件定期預金債権を譲り渡したる旨右訴外銀行に通知し、その形式を践んだことが乙第五号証により認められるとしても、結局債務者は、前示特約の効力により、同債権を譲り受けるに由なきものというほかはない。なお、債務者は前示特約違背の点は、債権者において主張しうる限りでないというけれども、債権譲渡禁止の特約が物権的効力を有することは、民法第四百六十六条第二項の解釈上明かであり、その特約の存することを知らず、かつ知らざるにつき、過失なき第三者のみが、除外せられ保護されるべきものなること、前示の通りであるから、右主張の失当なること明かである。

ところで債権者は、訴外伊勢和子に対し詐害行為取消請求権あること(後述)を前提とし、債務者に対し、本件定期預金債権が債務者に属せず、右伊勢和子に属することの確認を求める訴訟を提起せんとするのであり、しかも、このまま放置して、悪意の債務者が本件預金債権を、更に、善意無過失の第三者に転々譲渡するにおいてはこれがこの第三者に移転せられるにいたることは理論上明かであり、弁論の全趣旨によれば、一応そのおそれを認めうるから、これが権利保全のためなされた債権者の本件仮処分申請は、すでに、この点において理由ありというを妨げない。

しかもなお、一歩譲り、本件定期預金債権が訴外伊勢和子より債務者に譲渡されたとしてもさきに認定の事実に、成立につき争のない乙第一、二、三号証、甲第五乃至八、十四、十六号証及び証人酒井虎太郎の証言並びに弁論の全趣旨を綜合して考えるに、訴外伊勢石蔵は、自己に対する債権者の前示請求権に基づく追求を免れるため、その財産を隠匿せんとして、債権者を害するにいたるべきことを知りながら、本件預金に係る五百万円を前示の如く処分するにいたつたものであり、伊勢石蔵としては全く無資産に等しい状態にあることが一応認められる。しかして、債務者が本件預金債権を取得するにいたつた経緯は、前示認定の通りであるところ、債務者は、その取得当時これが債権者を害すべき事実を知らなかつた旨主張し、証人大高三千助の証言及び債務者本人訊問の結果中にはこれに副うような陳述があるけれども、にわかに措信することができず、他に債務者の右善意を認めしめるに足る疏明は存しない。かえつて、前示甲第四号証、乙第一号証、債務者本人訊問の結果(前示措信しない部分を除く)に以上認定の事実及び弁論の全趣旨を併せ考えるときは、債務者において、右の点につき悪意なりし事実をうかがうに十分である。また訴外伊勢和子についても、同女が本件預金にかかる五百万円を取得するにあたり債権者を害するにいたるべき事実を知らなかつたとの点は債務者において何等疏明しないところであり、かえつて、以上認定の事実と弁論の全趣旨によれば、その悪意をうかがうに十分である。

しからば、債権者は、訴外伊勢石蔵が同伊勢和子に対してなした本件預金にかかる五百万円の処分行為を、詐害行為として取消し、訴外伊勢和子または債務者に対し、その回復を請求しうるものというべきである。なお、債務者は、訴外伊勢和子に対する金員の貸付により本件定期預金債権が現金にかわつたに過ぎないから、詐害の処分といいえないと主張するけれども、本件において詐害の処分行為は、すでに、訴外伊勢石蔵が本件預金にかかる五百万円を訴外伊勢和子に対し処分したときになされているのであるから、その失当なること明かである。

なお、債権者は、詐害行為による取消の主張をなすに先立ち、本件預金にかかる五百万円につき、その訴外伊勢石蔵より同伊勢和子、更に債務者への順次譲渡は、通謀虚偽の意思表示によるもので、無効である旨の主張をなしている。しかしてこの通謀虚偽表示の主張が成立するときは、右詐害行為の主張をなす余地がないこと理論上明かであるところ、本件において、にわかに、右通謀虚偽表示の事実を認めしめるに足るほど明かな疏明は見当らないから、前示判断に影響なきこと明かである。

以上の通りであるから、債権者の本件仮処分申請は結局、被保全権利関係につき疏明あるに帰し、かつ保全の必要性については、以上認定の事実と弁論の全趣旨に徴し、一応これを認めうるのみならず、債権者において、すでに、保証を立てているので正当としてこれを認容すべく、これと同趣旨に出た主文第一項掲記の仮処分決定は、これを認可すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 荒木秀一)

<以下省略>

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